『幻想クイーンVol.1 ホラー・ヒロイン』

「恐怖とSF幻想世界のヒロイン情報誌」を謳う『幻想クイーン』というムック本が出てまして(刊:あおば出版)、そのVol.1は『ホラー・ヒロイン』と銘打たれ、アイドルが主演した和製ホラー映画を特集しています。

表紙に安藤希宮崎あおいの名前があり、「人気女優の未公開写真満載!」とあったので買ってみたのですが(ビニールがかかってたので中身が確認できなかった)、ただ伊藤潤二実写化作品シリーズの特集があって、その中の一つとして『富江 最終章 〜禁断の果実〜』が取り上げられているというだけでした(P057)。

まぁ、今のところ『富江 最終章』以外のホラーには出演していない宮崎はともかく、数々のホラー映画に出演している安藤なら、インタビューくらいは載ってるんじゃないかと期待していただけに、ガッカリです。なら表紙に名前なんか載せるなっつーの。ちなみに、安藤もしくは宮崎の「未公開写真」もないです。

で、気になるレビューの内容。わりと好意的な文面なのですが(他の作品のレビューも甘々なので、基本的にケナさないというスタンスなのかもしれないけど)作品の内容に関してかなり勘違いをしている記述が目に付きます。

>富江お姉さまに女子高生が憧れるエピソード「富江・毛髪」を題材に、

う〜〜ん? まぁ、たしかに「女子高生が富江に憧れる」という設定は共通してるけど、ストーリー的にもヴィジュアル的にもまったく接点ないぞ? 強いて言えば、主人公の父親が狂ってることと、「机の抽斗」が小道具として出てくることくらい。

女が女に憧れるという点ではたしかに百合っぽいと言えるけど、『富江 最終章』が耽美的なロリータ趣味をアピールしているのに対し、『毛髪』はただひたすらグロいだけ。あれを「題材」と呼ぶには無理があるなぁ。

ちなみに、『富江 最終章』が伊藤潤二の原作から引用しているのは、『暗殺』と『ベビーシッター』で主人公が富江を飼育する件だけです。もっとも、どちらも百合物ではありませんが。

>互いに依存するように密着していた親子が、それぞれの人生を開始するラスト・シーンは、爽やかですらある。

あの親子は「密着」などしていません。それどころか、富江が遊びに来る日、登美恵が和彦を家から追い出す件に象徴されるとおり、二人の心は断絶していました。富江を殺したショックでひきこもりになっちゃった和彦を登美恵が世話する件については、和彦が登美恵に対して「依存」していると言えなくもないけど、登美恵のほうは和彦をまるで信頼していないのだから、「互いに」というのは当てはまりません。むしろこの物語は、二人が離れ離れになったことで、逆に親子としての絆が深まったという皮肉を描いているのです。

あのラスト・シーンを「爽やか」と形容するセンスもズレています。百歩譲ってあの親子が「互いに依存」していたとしても、各々の依存の対象が富江に移っただけなので、根本的には何も解決していない。いや、むしろ事態は悪化しているのです。富江を愛するあまり実の娘を捨てた和彦と、自分に都合のいいことしか言わない「本当の友達」として富江を調教しようと目論む登美恵の姿は、「人外の者に恋焦がれてはならない」という教訓になっています。これは「解釈の違い」なんていう次元の問題ではなく、フィルムの内容から誰もが読み取れることです。

「(安藤希の)涼しげな美貌は歴代富江の中で原作に最も忠実なビジュアル」「富江のちょっとレトロなファッション・センスも再現」「ホラー映画というよりも風変わりなガーリー映画の趣」など的を射ている部分もあるのですが(あと「『ラマン』の安藤希」ではなく「『さくや 妖怪伝』の」としているところは個人的に好印象)、たったあれだけの小さなスペースでこれほど大きな間違いを犯しているというのは、物書きで飯を食ってるプロとしては致命的なんじゃないでしょうか。無記名なので誰が書いたんだかわかりませんが、再考を促したいところ。

ところで、このムックには「Jホラー/絶叫のヒロイン・グラフィティー」と題した記事が掲載されており、映画評論家の鷲巣義明氏が和製アイドル・ホラーの歴史を解説していて、その中で当然『富江』シリーズについても言及されているのですが、氏は「このシリーズ中、最も気に入っている」「シリーズ屈指の必見作」として、『富江 最終章』を挙げています(P053-054)。だからってべつに権威付けしたいわけではありませんが、目の肥えた人に褒めてもらえたのは、一ファンとして素直に喜びたいところ。