『まりあほりっく』アニメ化に寄せて

 本屋をぶらついていたら、「月刊声優グランプリ」(2009年1月号 刊:主婦の友社)というアニメ情報誌の表紙に井上麻里奈の名前があった。

 それほどアニメを観るほうではないので、基本的に声優にはあまり興味がないのだが、井上麻里奈はデビュー作『コゼットの肖像』を観て、その演技力と歌唱力に感心して以来、密かに注目していた。秋葉原の石丸電気で行なわれたミニ・ライブにも足を運んだことがある。

 何げなく手に取って読んでみると、来年tvk系列で放映予定のTVアニメ『まりあほりっく』に井上が出演するのだという。同作品に出演する小林ゆうと共にインタビューに答えている。(P25-27)

 アニメの原作は、現在「コミック・アライブ」(刊:メディアファクトリー)で連載されている遠藤海成の漫画。女子校を舞台に、レズビアンの主人公を「ドS」気質の女装美少年「祇堂鞠也」が“いじめまくる”という筋書きである。
 「祇堂鞠也」は自らが男性であることに気付いた主人公に対し、彼女の性的指向をネタに脅しをかけ、口をつぐませる。
 加えて、その端麗な容姿と身のこなしから、女生徒たちの人気を一身に浴びる「祇堂鞠也」は、自らのセクシュアリティに罪悪感を抱き、また編入生ということもあって校風に馴染めず器用に振舞えない主人公を「汚物」と呼び、事あるごとに陰湿な嫌がらせをする。
 そのような殺伐としたエピソードが毎回、延々と続く。

 異性装も同性愛も同じセクシュアル・マイノリティであるはずだが、『まりあほりっく』の根底にあるのは、あくまでも<同性愛=アブノーマル/非同性愛=ノーマル>という作者の歪んだセクシュアリティ認識である。かくして、本来<セクシュアル・マイノリティ=異性装者>である「祇堂鞠也」は<セクシュアル・マジョリティ=非同性愛者>の座に“成り上がり”、その権威性に依存した上で<セクシュアル・マイノリティ=レズビアン>を抑圧するという「ヒエラルキー(差別構造)」が形成される。

 かつて単行本の第1巻を読んだ時点で、こんな不快きわまりなく痛々しい漫画は心ある読者の不興を買い、遅からず打ち切られるだろうと予測していた。そこには若干の希望も含まれていたかもしれない。

(ちなみに、私のサイト『なぜ男が「百合」にハマるのか?』をご覧になった方の中には、「似たようなコンセプトの『処女はお姉さまに恋してる』を槍玉に上げておきながらなぜより差別的で悪質な内容の『まりあほりっく』について言及しないのだ?」という疑問をもたれた方もいらっしゃるかもしれないが、取り上げることでかえって宣伝になってしまう可能性があると考えたためだ)

 ところが、その後ドラマCDまで制作され、ついにはこうしてアニメ化までされてしまった。

 来年は、この漫画の“元ネタ”である今野緒雪の小説『マリア様がみてる』のTVアニメ版の続編(第4期)も放映される。『マリみて』を発端として「百合ブーム」なるものが生まれたが、けっきょくのところそれは『まりあほりっく』、そしてそのもう一つの“元ネタ”である『処女はお姉さまに恋してる』(美少年が女装して女子校に潜入し、女生徒たちと「レズごっこ」に興じるという設定のアダルト・ゲーム)などに代表されるとおり、<セクシュアル・マジョリティ=異性愛至上主義>の安全圏から<セクシュアル・マイノリティ=レズビアン>を都合良く“搾取”するための算段でしかなかったのだ。

 具体的な被害者が存在するわけではないから“搾取”という表現は不適切だ、という反論もあるだろう。だが、『まりあほりっく』のような作品を通して、人々はレズビアン差別を希求する。レズビアンは「ヘンタイ」なのだから、どのように理不尽な仕打ちを受けたとしても当然であるという共通理解がなければ、人々はレズビアンである主人公がその性的指向ゆえに迫害され悩み苦しむ様を「ギャグ」として笑うことができない。

 レズビアンが天使や妖精の類ではなく「現実」の存在である以上、『まりあ・ほりっく』は現実のレズビアン差別をフィクションの中で再生産しているにすぎないのだ。

 なお、井上はインタビューを以下のように締めくくっている。

(P27)
お話の流れで“百合”という単語も出てきますが、百合好きな人もそうでない人も両方楽しめるないようなので、ぜひ一度チェックしてくださいね♪

 あたかも『まりあほりっく』が「百合」の要素を内包していることが、視聴者の間口を狭めているかのような言い草だ。しかしその一方で、「いじめ」や「同性愛者差別」を正当化していることについては、間口を狭める要因に当たらないという認識でいるらしい。

 しかし、その隣のページには、ハート型の枠の中で井上と小林が妖しく寄り添い、「ず〜っと一緒にいようね」という手書き文字風のキャプションまで付けられた、いかにも「百合」的な雰囲気の写真がでかでかと掲載されている(P26)。

 そのように、百合ファンの関心をあからさまに惹きつけるような宣伝をしておきながら、都合が悪くなると「百合」を切り捨てる。レズビアンをたんなる妄想のネタとしか捉えず、マジョリティの高みから笑い者にし、そして気が向いたときには「萌え」として消費する。

 異性愛至上主義の体制維持において、これほどまでに都合の良い「百合観」は他にないだろう。そして、それこそが『まりあほりっく』という作品の本質に他ならないのである。

(2011年1月4日 追記)

 『まりあほりっく』の作品解説に誤りがありました。
・「鞠也」は「まりあ」ではなく「まりや」と読みます。
・主人公は「転入生」ではなく「編入生」でした。
 謹んでお詫び申し上げます。

(2012年10月3日 追記)

 Windows7など一部OSで【祇堂鞠也】の「シ(“礻(しめす偏)”に“氏”)」の字が、自動的に「祗」と変換されてしまうという不具合が発生しています。初期設定における既定の文字セットでは、当該の文字を表示することができない仕様になっているためです。
 つきましてはMICROSOFTのサイトから「旧JIS90文字セット」をダウンロードし、OSのバージョンに応じてインストールしてください。
Windows Vista、Windows Server 2008、Windows 7 および Windows Server 2008 R2 で旧 JIS90 文字セットを使用する方法
 なお、タイトル表記につきまして正確には「まりあ」と「ほりっく」の間に十字の模様(†)が入りますが、本エントリーをアップした当時は機種依存文字の可能性があると考えていたため省略していました。