テレビ東京『極嬢ヂカラ』の「レズビアン特集」を観る。

 不景気を反映してか、テレビも正月だってのに季節感のないシケた番組ばっかりですが、昨日、なにげなく新聞のテレビ欄を眺めておりましたところ、刺激的なフレーズが目に飛び込んできました。


「密着・女のH レズビアン

 深夜1時からテレビ東京で放映される『極嬢ヂカラ』という番組の紹介でした。

 番組の公式サイトはこちら

 しかし、事前にサイトで公開されている動画(番組に出演するレズビアン・カップルのインタビュー)をチェックしたかぎりだと、同性愛が異性愛と同じ「性的指向」ではなく、それこそ「性的嗜好」や「恋愛観」の問題と誤解されてしまいそうな気配……「女性がいい理由」って、同性愛に「理由」なんか必要ないはずなんですけどねぇ(失笑)

 もっとも「同じ女性同士だからこそ男性とはしづらい話題でもオープンに話し合える」といった主旨の発言は、やはり当事者ならではのリアルな感覚に裏打ちされたものです。しかし、それにしたって視聴者の側に一定のリテラシーがなければ、かえって揚げ足を取られてしまう気がします。

 まぁ、生来マイナス思考なものでどうしても不安ばかりが先走ってしまったのですが、以下、実際に見た番組の内容とその感想:

・1時間弱の放映時間の内、件の「レズビアン特集」は20分程度。 公式サイトのインタビュー動画は「ホームページ限定」とのことなので本編では使用されていない。

・『Lの世界』の世界的大ヒットを受け、この日本でも「Lカルチャー」に関心を寄せる「ストレート」の女性たちが急増中……という語り口。『マリみて』などの「百合」に関する言及はなし。

・コメンテーターとして出演する女性タレント4名を含め、ホモフォビックな印象はまったくなかったが、同時に精神医学的な解説もなく、あくまでも娯楽に徹した作り。

レズビアン・カップルの同棲生活以外にも、彼女たちと他のレズビアンを交えた座談会形式のインタビューあり。一人ひとりを紹介するテロップが流れるのだけれど、「彼女あり」と「恋人あり」という表記の違いには何か意味があるの?(2009年1月16日 追記:関係者から聞いた話によれば「女性の恋人」と「FtMの恋人」の違いだそうです)

レズビアン当事者に向けた内容というよりも、むしろ<セクシュアル・マジョリティ=異性愛者>の女性たちの好奇心を満たすことに主眼が置かれていた。終盤に流れる「ストレートの7割はバイセクシュアル」というテロップにそれが顕著。加えてコメンテーターのYOUによる「自分で『ストレート』だと思い込んでいる人も、もしかしたら(自分の同性指向に)気が付いていないだけなんじゃないの?」といったニュアンスのまとめ方で終わる。

 初めから期待値を低く見積もっていた分、良くも悪くも「こんなもんか」という印象でした。ただ、『Lの世界』に影響を受けた新宿2丁目界隈の「レズビアン・コミュニティ」のありようを、あたかもレズビアン全体がそうであるかのように一般化する演出には疑問が残ります。たとえば肉体関係をもった女性同士を繋げる「チャート」を作って喜んだりとか、いくら<レズビアン=セクシュアル・マイノリティ>が清廉潔白である必要はないとはいえ、引いてしまった人も少なくないのでは?

 僕個人としては、同性愛に関する正しい知識が世間に浸透していないままで、「Lカルチャー」とやらがファッションとして消費されていく危険を常に認識しています。それでは「カルチャー」ではなく、たんなる一過性の「ブーム」であって、いつぞやの『SPA!』と大差ないんじゃないかと……。

 しかしまぁ、深夜のバラエティ番組で「精神医学における『性的指向』の概念とは……」とかやるのも現実的ではないでしょうし、視聴率至上主義のテレビ業界の実情を鑑みれば、まずまずの健闘ぶりと言えたかもしれません。

 ただ一言付け加えておくと、上にあるような「人は皆バイセクシュアル」といった論法で、同性愛者のエンパワーメントを図るアピールの仕方は失敗に終わる確率の方が高いです。
『まりあほりっく』アニメ化に際したエントリーでも述べたとおり、世間では<異性愛/同性愛>というより<同性愛=アブノーマル/非同性愛=ノーマル>という認識のされ方が一般的なので、実際にはバイセクシュアルも「同性愛のバリエーション(さらに言うなら「進化系」)」と捉えられている節があります。
 したがって<非同性愛者=異性愛者=セクシュアル・マジョリティ>の側が「ノーマル」と規定されているがゆえに<同性愛=セクシュアル・マイノリティ>の要求を免れるのに対し、「アブノーマル」と規定されている<同性愛者=セクシュアル・マイノリティ>の側には「同性愛をやめる必要はないからバイセクシュアルを目指せばいい」というレトリックが成立してしまい、その結果として<異性愛=セクシュアル・マジョリティ>が要求されるという新たな“差別構造”が発生してしまうのです。

(2009年1月5日 追記)

 上のまとめは少し堅苦しい言い回しになってしまいましたが、ようするに「人は皆バイセクシュアル」といった類のレトリックは、異性愛者に同性愛を要求するのと同じ理屈で、同性愛者に異性愛を要求する論拠にもなりえてしまい、結果的に現行の差別構造がより強化される危険を孕んでいるということです。

 もちろん「要求」しているわけではないという反論もあるでしょうが、バイセクシュアル(両性愛)こそが「マジョリティ=ノーマル」であるというなら同時にモノセクシュアル(単性愛)は「マイノリティ=アブノーマル」という理屈になりますし、また「アブノーマル」であるからには「ノーマル」に“矯正”すべきという考えを抱く人が出てくるのは自明の理ですので結論は変わりません。

 さて、ここのところアクセスが通常の10倍近くに跳ね上がっていますが(ありがとうございます!)念のためお断りしておくと私はけっしてYOUの発言を責めているわけではありません。バラエティ番組という枠組みの中では穏当なまとめ方であると思います。ただ、そうした流れから出た発言を字義通り真に受けるのも現実的ではないと言っているのです。