ゲイを《冷静》に差別するということ

セサミストリート制作会社が"ゲイ"説を否定 「バートとアーニーは親友同士です」
ニコニコニュース(オリジナル) 2011年8月13日(土)12時01分配信
(前略) 
 テレグラフ紙の記事にも、この話題に対して賛否両論が集まった。「子ども向けの番組なんだから、そもそも"性的な問題"は持ちこむな」という声がいくつか見られたほか、「この2人を結婚させようってキャンペーンは、悲しいものだと思う。同性の2人は、性的なうわさなしには強い関係を結べないってことを示してるわよね」という冷静な意見もあった。
(古川仁美)

 原文には「a sexual orientation(性的指向)」と記載されているのをわざわざ「性的な好み」と誤訳し、あげく「レズ」「トランスジェンダー性同一性障害)」「バイ」といった差別的表記を何の必然性もなく駆使する、この古川仁美なる差別主義者(と断言していいでしょ、ここまでくれば)は、
 「この2人を結婚させようってキャンペーンは、悲しいものだと思う。同性の2人は、性的なうわさなしには強い関係を結べないってことを示してるわよね」という“意見”を《冷静》と評している。
 《この2人を結婚させようってキャンペーン》の問題点は前回示したとおりだが、それを指して《同性の2人は性的なうわさなしには強い関係を結べない》と解釈する感性もいかがなものだろうか。
 じつのところ、それ自体が同性愛者の存在を「性的なうわさ」の次元に矮小化する思考であることに気がついているだろうか。
 ホモフォビアとはたんなる「同性愛嫌悪」にとどまるものではなく、同性愛の「性的」な側面に向けられるものだ。よって《同性愛が必ずしも性欲を伴うわけではない》といったレトリックで反証を試みることは、所詮ホモフォーブへの迎合にすぎない。
 しかし、だからといって同性愛について論じる際、その「性的」な側面ばかりがスキャンダラスにクローズアップされる実情には、それとはまた別次元の問題が内包されている。
 そしてその問題が、同性愛自体ではなく、同性愛に「性的なうわさ」の臭いを嗅ぎつける人々の意識に起因するものであることは言うまでもない。
 《同性の2人》における《強い関係》「親友」の次元に限定し、「ゲイ」の可能性を根絶せんと試みる思考を《冷静》と評するなら、それはただ《冷静》にゲイを差別しているというだけの話である。換言すれば、古川の論調は同性愛者差別をそうした「感情」の問題に収斂し、差別を機能させる「社会」の構造の歪みから目を背ける責任転嫁以外の何物でもない。