差別表現は「倫理」の問題に非ず〜石田大喜『実らない花』

 特種東海製紙株式会社が主催するペーパーアートの大会「紙わざ大賞」の第21回入賞作品が、今月15日から17日にかけて東京・銀座の十字屋ホールにて展示されていた。
http://www.tt-paper.co.jp/kamiwaza/
http://www.tt-paper.co.jp/kamiwaza/pdf/21_shinsa.pdf

 その中に『実らない花』と題して、セーラー服を着た二人の少女が教室と思しき場所で接吻を交わす寸前の瞬間を形にしたフィギュアがあり、「百合物」として注目を集めた。

痛いニュース(ノ∀`):ペーパークラフトコンテスト「紙わざ大賞」の入賞作品がけしからんと話題に
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1664383.html

 作者は石田大喜(たいき)。詳しいプロフィールは不明だが、金沢美術工芸大学の大学院で彫刻を専攻する学生によって結成された「KAMS(カムズ)」というグループのメンバーである。

http://kams-exhibition.com/

 ありていに言って、フィギュアの完成度自体はひじょうに素晴らしい。少女たちの表情や仕草など、写実的かつ繊細な描写が細部まで行き届いている。また、机に腰掛ける少女は裸足で、床には靴下が脱ぎ捨てられており、あざとくならないまでのエロスを醸し出す。審査結果は「入選」に終わったものの「百合作品」としては非の打ち所のない仕上がりだ。

 だが、それでも私がこの作品を肯定できないのは、ひとえにタイトルが問題である。『実らない花』というネーミングからは、女性同士の恋愛が“実らない”ものであることを前提とした上で、なおかつそこに退廃的な「美学」めいたものを見い出す感性が見て取れる。このような押し付けがましいタイトルは、作品の価値を貶めこそすれ、高めることにはけっしてなりえない。

 名前を見るかぎり作者は男性らしいが(KAMSのサイトではお面を被っていてわからない)、女性同士の恋愛がそのような結末に終わらざるをえない現実、そしてそれを強いる異性愛至上主義社会の差別構造から、誰しも目を背けることはできない。あまつさえ非当事者の特権性に依拠した上で、被差別者の窮状を手前勝手に美化し、陳腐な感傷のネタにすることの社会的責任について、作者はどのように認識しているのだろうか。
 

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 とはいえ、芸術の分野においては「フィクション作品に現実社会の倫理を持ち込んではならない」という議論がなされてきたことも事実である。芸術活動も「社会」の一部である以上、「社会」の差別を正当化するレトリックに利用されてしまうのだ。

 しかし、差別表現と「倫理」を結びつけるレトリックには大きな欺瞞がある。
 そも差別とは「倫理」という〈個人〉の内面に属する問題ではなく、〈社会〉における「構造」の歪みによって生じるものだ。
 換言すれば、〈個人〉が「倫理」をもとうともつまいと、差別が存在する〈社会〉に生きる以上はいやがおうにも「構造」に巻き込まれてしまうのである。

 昨今、児童ポルノ法や都条例改正など表現規制の問題がクローズ・アップされる中、「表現の自由」という言葉が錦の御旗のごとく叫ばれている。

 だが小学校で習ったとおり「自由」とは本来「平等」の上に成り立つ概念だ。「平等」なき社会における「自由」がもたらすものは、強者が弱者を思うがままに搾取し尽くす弱肉強食の世界である。

 それでも「差別意識に根ざした作品を創るのも作家の自由だ」と言うだろうか。しかし差別を作り出す社会の体制に迎合し、あたかも麻薬中毒者のごとくその“恩恵”に依存し続ける態度は、じつのところ「不自由」の極致と呼ぶべきものではないだろうか。