「禁じられた世界」という記号性に「百合ぷる」を閉じ込める「(自称)百合スト」の異性愛至上主義

(2013年12月25日 加筆修正)


なぎこ@百合愛づる姫君?@nazo_nagon_
https://twitter.com/nazo_nagon_/status/299156417376550912
ところで先日話題になった百合表紙のカメラ目線について思ったことをイラストにしてみた。業界の人にぜひ見てほしい。百合ストが望むのは「禁じられた世界を覗いている」という感覚なのです。百合ぷるに歓迎されたいとは微塵も思ってないのです。

twitter上の「百合クラスタ」の間で、このような“作品”が千回以上もRTされている。

ちなみに百合作品の愛好者を示す一般的な用語は存在しないため、「百合スト」なる見慣れない言葉は作者@nazo_nagon_自身の造語、ないしはその周辺のみで局地的に流通する符牒と思われる。

また同人誌はともかく、一般的な商業出版の「業界」において百合系雑誌およびコミックス(単行本)の表紙のデザインは多種多様である。しかしいずれにしても成人指定のポルノ漫画を除けば、たとえ作中に性描写が存在していようと、表紙にまで性的なイメージが前面に押し出されることはない。

あるいは成人漫画の分野について述べているのだとしても、二次元のアダルト・メディア(つまり実写のAVを除く)全般において「百合物」は数えるほどしか出ていないのが実情である(むろん「ふたなり」や「女装」は除く)。

よって「NG」に指定されている右下の図案を含め、@nazo_nagon_が挙げる4パターンのステレオタイプに属する表紙デザインは、実際の百合作品全体の割合からするとごく少数と言える。もし上掲の「作品」が@nazo_nagon_の“理想”とする「百合」を体現するものであるならば、現状の「業界」は良くも悪くもその“理想”から大きく掛け離れていることになる。

だが、そのような@nazo_nagon_の“理想”とは、いかなる意識に立脚するものであるか。

「禁じられた世界」とは何か。そも“禁じる”のは誰か。いかなる根拠に基づいて“禁じる”のか。

「禁じられた世界」などという陳腐な記号性に「百合」を閉じ込めて悦に入っている時点で、クリエイティビティも批評性も感じられない、きわめて底の浅い“表現”と言わざるをえない。

これに対する「百合スト」からのコメントは、大半が作品のそうした本質的な差別性を考慮しないまま無批判に翼賛するものばかりだが、中にはやはり批判的な指摘もあったらしく、@nazo_nagon_は次のように弁明も行っている。

なぎこ@百合愛づる姫君@nazo_nagon_
https://twitter.com/nazo_nagon_/statuses/299184455363465217
念のためしつこくアンナウンスン。百合を「禁じられた世界」と言ったのは「女の子同士の時にだけ生じる独特のアヤシイ雰囲気」というのを表現したいがためにぽろっと出ちゃった言葉でマイノリティを差別する意図はありません。同性婚には賛成ですし、何かしら協力したいとも思っています。

なぎこ@百合愛づる姫君@nazo_nagon_
https://twitter.com/nazo_nagon_/statuses/299186423662252033
百合が全然禁じられてなくてむしろデフォルトの世界も大好きですよ。ていうかそうなれ。

同性婚に関しては、当事者の間でも見解が分かれる非常にセンシティブな問題であり、安易に《賛成/反対》というフレームに当てはめて論じていいものではないのだが、それはさておくとしよう。

看過しえないのは、以下の発言である。

なぎこ@百合愛づる姫君@nazo_nagon_
https://twitter.com/nazo_nagon_/statuses/299187443800891392
あと、なんでこんなに百合好きな自分がさっき百合を「禁じられた世界」と表現しちゃったのか分かった。単純に覗いてるからだ。ヘテロカップルでも2人だけの時にしかしないことしてるのを観るのは普通に犯罪でしょう。「禁じられた世界」は百合じゃなくて「百合えっち」のこと。もしくは貝合わせ。

なぎこ@百合愛づる姫君@nazo_nagon_
https://twitter.com/nazo_nagon_/statuses/299187943917109248
女性は女性で特別だし、男性は男性で特別。もちろん男性と女性も。誰と誰の関係だって、オンリーワンの輝きを持っている。私はそう思います。

なぎこ@百合愛づる姫君@nazo_nagon_
https://twitter.com/nazo_nagon_/statuses/299188274893819904
で、禁じられた世界っていうのは要するに「えっちなのはいけないと思います!」っていうことなんですね。えっちなのはやっぱりけしからんと思うのですよ。だからもっとやれ。

《「禁じられた世界」は百合じゃなくて「百合えっち」のこと。》とは、まさしく《「精神的な同性愛」は認めるが「肉体的な同性愛」は許さない》というレズボフォビアのご都合主義に根差した物言いだ。

“認める”だの“許さない”だのと〈非当事者〉が〈被差別者〉のありようを規定すること自体が、どちらに転んだとしても「暴力」であり「差別」であることは論を俟たない。

そも他人の「えっち」について《いけないと思います。》だの《やっぱりけしからんと思うのですよ。》だの《もっとやれ。》だのと論評・指図する行為自体が僭越であり、下劣である。元より《単純に覗いてる》ことが「犯罪」だというなら「禁じられた世界」にいるのは「百合ぷる」ではなく@nazo_nagon_自身であろう。

また〈男性/女性〉ないし〈異性愛/同性愛〉の間に差異(性差)が存在する事実と、その中から特定のありようを(あるいは「特定のありよう」から逸脱するありようを)特殊視・異常視し、あまつさえ「禁じられた世界」として隔離する行為は同義ではない。

「女の子同士の時にだけ生じる独特のアヤシイ雰囲気」という言辞に証明されるとおり《男性と女性》「えっち」を描く作品(不倫や近親相姦などの付加設定が伴う場合は除く)について「禁じられた世界」という語彙があえて用いられることはない。

すなわちこれは、生殖を目的としない《女の子同士》「えっち」を《変態》《異常》として抑圧する異性愛至上主義に立脚するものである。

ゆえに《もちろん男性と女性も。》として〈異性愛者/同性愛者〉の間に横たわる社会的力関係の差異を言葉の上で相対化してみたとしても、その「差別」の“機構”が揺らぐことはない。《マイノリティを差別する意図はありません。》というのは、そうした「差別」を行使する自己の社会的特権性について無自覚であることを宣言しているにすぎない。

このような表現は「百合スト」として間違っているのではない。〈非当事者〉の社会的特権性に基づいて〈被差別者〉を「禁じられた世界」に隔離し、自らの卑しい性欲のために搾取する差別性ゆえに批判されるのだ。

  • むろん「性欲」という感情自体が“卑しい”のではない。《〈非当事者〉の社会的特権性に基づいて〈被差別者〉を「禁じられた世界」に隔離し、搾取》する行為に「性欲」を感じる“性癖”が卑しいのである。

* * *

もっとも言葉の表現はともかく〈男/女〉間に性差が存在する以上、《女の子同士》の関係性における「アヤシイ雰囲気」の表現が《男性と女性》ないし男性同士の「アヤシイ雰囲気」と異質のものになることは自明だ。

しかし、そのような「女の子同士の時にだけ生じる独特のアヤシイ雰囲気」「禁じられた世界」と“紐付け”する必然性は、じつのところまったくない。

「百合えっち」にかぎらずエロスの表現、およびそれに伴う背徳感の演出は、キャラクターの繊細な表情や仕草、構図、コスチュームなどの技巧によってもたらされるものだ。

それを「差別」という作品世界の外側の要因に依存するとは、表現者としての限界を自ら露呈したにすぎない。

すなわち@nazo_nagon_が示すのは「百合作品」ならぬ「レズボフォビア作品」でありヘテロセクシズム作品」ということになる。

  • ヘテロセクシズム(異性愛至上主義)」を“表現”することについて、作者自身が「ヘテロセクシュアル異性愛者)」であるか否かはまったく関係ない。《生殖を目的としない同性間の「えっち」を“特殊視”し、反社会的な「変態」あるいは「わいせつ」として抑圧する優生思想=ヘテロセクシズム》を表現するなら、たとえレズビアン当事者の作家によるものだとしても「ヘテロセクシズム作品」である。

(2013年12月7日 追記)
【@nazo_nagon_】氏のアカウント名を誤って【@nazo_nagon】と表記していました。慎んでお詫び申し上げます。