『R18!』はなぜつまらないのか

ぷらぱ『R18!』は、『かなめも』や『落花流水』で知られる芳文社の4コマ誌「まんがタイムきららMAX」の主力作品の一つである。

私が同誌を定期購読するようになったのは『かなめも』のTVアニメ化が決定した時期(2009年春)だったが、その頃からすでに連載が続いていた。入れ替わりの激しい同誌のラインナップの中では異例のことだ。2013年6月時点で単行本は5巻まで出ている。

内容は、若い女性だけが勤務するエロゲー制作会社を舞台にしている。百合作品に力を入れている同誌のカラーを受けてか百合的なやりとりもあり、一部の登場人物はカップルになっている。とはいえ女性同士の直接的な性行為は描かれず、せいぜい着衣の上から乳を揉み合う程度である。

近頃は女性向けのアダルトビデオが注目を集めているが、この会社は女性社員のみであるにも関わらず、なぜか男性異性愛者向けの商品を制作している。結果、エロゲーという媒体を通して表出される男性異性愛者の性的欲求を、女性キャラクターが代弁するというきわめて迂遠かつ奇妙な形で進行する。

これはおそらく、登場人物をそのまま男性異性愛者にしてしまうとあまりにリアルで生臭いものになってしまうため、女性を起用することにより緩衝材にしているのだろう。加えて、可愛い女の子が卑猥な表現を口にするというギャップも楽しめる。

だが、裏を返せばこの作品の面白さはそこにしかない。一時期ネット上で持て囃された「ちゆ12歳」と同様に底の浅い露悪趣味しか感じられず、百合野郎を自認する私でさえ毎回読み飛ばしていた。

もっともそれだけなら私とはノリが合わないというだけの話だが、2013年8月号に掲載されたエピソードを読み、その違和感はより明確になった。

当該のエピソードでは「レズモノ」が話の枕となっている。百合要素も売りの作品ではあるが「レズモノ」が取り上げられることは珍しい。その理由として、エロゲーにおいては「レズモノ」が不人気という実情があるようで、登場人物を通してその分析がなされている。

なお、本作のキャラクターは髪形を除けば皆同じ顔のいわゆる“ハンコ絵”であり、各々の違いは特に重要でないと考えられるため、人名は省略して台詞のみを抜き出す。

漫画とかと違って ゆるいゆりゆりならともかく エロいレズりあいは あんまりっぽいですよ

ゆるいのを愛でるのが いいのであって エロいレズりあいは また違うよさがあるけど 女の子が男にされてるほうが 基本的にエロいらしいですよ

わかりやすい シンクロどころがないのも 問題じゃないの?

女同士のエロシーン って言うと 貝あわせとかくらいで 結局オモチャだよりだもんね

女の子が女の子攻めても コレじゃない感が あるんじゃない?

【彼女】らが、否、【彼女】らの口を借りる作者が「エロいレズりあい」に“エロさ”を感じられない理由は明白だ。女性同士の性行為を、たんなる物理的な「プレイ」に形骸化し、そこで交わされる情感をまるで無視しているからだ。「エロ」の語源は「eros」すなわち《愛》であり、それを欠いてしまうならラジオ体操の類と変わらない。それは異性愛も同様である。

作者は《女同士のエロシーンって言うと貝あわせとかくらい》と言うが、それなら男性が女性を“攻める”パターンも挿入とフェラチオと顔射とかくらいしかなく《結局ペニスとザーメンだより》と言える。裏を返せば、ペニスとザーメンを用いるプレイさえ除けばいかなるプレイも女性同士で可能なのである。

ところが作者はその可能性に目を向けようともせず、ひたすら女だけのSEXにケチをつけまくる。この後ろ向きで不毛な行為が、女同士の性表現を「レズ」として忌避する一方、プラトニックな表現を「百合」として美化する「百合ブーム」の風潮に迎合したものであることに疑いの余地はないだろう。

作者の言い分は、女同士でできるプレイなら男でも、それもさらに“エロく”できるというものであるが、そのじつ男では絶対に不可能なことがある。

言うまでもなく「女同士で愛し合うこと」だ。

女が男の代わりになりえないように、男も女の代わりになりえないのだから。

ゆえに《女の子が男にされてるほうが基本的にエロい》と言うのなら、逆に《女の子が女にされてるほうが基本的にエロい》という言い方も成り立ってしまう。そも《女の子が男にされてるほう》「基本」であるなどと誰が決めたのだろうか。

「らしいですよ」などと伝聞の形を取ることで言責の放棄を試みているものの、このようなおかしな理屈は男性でなくとも反論できる。しかしその場にいる誰もが――女性同性愛者も含まれているにも関わらず!――反論しないことでけっきょく追認している。

作者は女性キャラクター同士の恋愛模様も描いておきながら、それをしょせんは異性愛の代用としか考えていないことがありありと窺える。

あるいはそうした異性愛至上主義とは別に「わかりやすいシンクロどころ」としてのペニスが出てこないので男性にとっては感情移入できないという言い分もあるだろう。

しかし男性の「シンクロどころ」をペニスのみに限定する“わかりやすい”発想こそが、やはり異性愛至上主義に基づく固定観念に他ならない。

生物学的に男性の人であればわかることと思うが、意外にペニスという器官の感度は鈍い。むろん感じやすさ(イキやすさ)に個人差はあるものの、指や舌に較べると繊細な刺激を感じ取ることができない。

  • それでも一般にコンドームを付けるより生で挿入したほうがペニスの快感が高まるとされているのは、じつのところ物理的な刺激よりも心理的な効果と言える。
  • またヴァギナに関しても、俗に「ミミズ千匹(膣内の襞が細かく密集していること)」や「カズノコ天井(膣壁にザラザラとした感触があること)」が“名器”とされているけれど、実際にはそうした膣内の形状の違いがペニスの性感を大きく左右することはなく、これらも一種の「幻想」にすぎない。
  • もっとも人工的に造成されたオナホールでは、現実の女性の膣にはない深い溝や大きな突起などによって強い刺激が得られるが、ポルノの小道具にオナホールが用いられることは皆無と言っていい。

ゆえに私などは「本番(挿入)」のシーンよりも手マン(指マン)やクンニリングス、アニリングスなどの前戯のほうが観ていて楽しめるし、それこそ“エロく”感じるのである。

たしかに私のような感性はAVユーザー全体からするとマイノリティかもしれない。だが現実社会においてレズビアンの存在自体がマイノリティである以上、レズビアンをテーマにしたフィクション作品もマイノリティにならざるをえないことは自明だ。

そこへきてマイノリティであるがゆえに価値が低いと決めつけてしまうなら、現実のレズビアンに対する「差別(周縁化)」をも追認することと同義である。

また、たとえ「レズモノ」が男性異性愛者のユーザーには受けないとしても、女性の、しかも同性愛者の観点で捉えなおせば新たな視点が提示できるはずだ。しかし作者にはそれができない。作者がレズビアンでないから、ではない(作者自身のセクシュアリティは不明)。「他者」に対する想像力が欠落しているからだ。

この漫画を読んでも、読者には何も得るものがない。《「精神的な同性愛(=百合)」は認めるが「肉体的な同性愛(=レズ)」は許さない》という貧しい価値観を、作者がただ自己確認しているにすぎないからだ。無意味に登場人物の多い漫画だが、自分と異質の感性と出会うことにより新しい世界が広がっていくという感動がまるでない。

じじつ当該エピソードにおいては「レズモノ」という興味深い題材を提示しておきながら、それを深く掘り下げることもなくBLだとかロリコンだとかの話に切り替えてしまう。むろんこれらについても興味を惹く見解はなされない。深みもユーモアも立体感もないキャラクターたちが、同じ価値観を共有できる者にしか通用しない退屈な会話をダラダラとくっちゃべっているだけだ。というか、これをあえて漫画という形にする必要性が何も感じられない。

このような漫画は、描く価値もなければ読む価値もない。