〈異性愛男性〉を《レズビアン差別》に追いやる「草食系男子」という“恫喝”〜牧村朝子『百合のリアル』(7)

(2016年3月5日 加筆修正)

先述のとおり第7章にはホモフォビアホモフォビアフォビア』というタイトルが付けられており、その中には『「差別する人たちを差別する」ことの果てしなさ』と題された節もある。わざわざ一章を割いているくらいだから、牧村にとっては本書を通して世に訴えたかった主要なテーマの一つといっても過言ではないだろう。

牧村は「差別」の「背景」について《人々を区分けし、扱いに差をつける感覚》と定義する(p.223)。その上でホモフォビアフォビア」とはホモフォビアはダサい」といったイメージを作ることで《結局新しい区別を作って、これとこれは悪、ってすることだから、過去の繰り返し》なのだという(p.228)。

ところが当の牧村は、自身のTwitterで次のように発言している。

まきむぅ(牧村朝子) @makimuuuuuu
https://twitter.com/makimuuuuuu/status/422013723587260416
あと、 #百合のリアル に出てくるアキラは、最初クズいナンパ男みたいな感じで、嫌がるはるかちゃんに「こんなに可愛いのにレズだなんて〜!俺と付き合ったら変わるかもよ〜」とか絡んだりしてたんだけど、編集段階で「もはや異性愛男性叩きじゃんこれ」ってなって話の分かる草食系男子になった

これを本書の言葉に置き換えるなら、牧村は「男性全体」レズビアンを性的な目で見ている》(p.188)と決めつけて敵視することが「フォビア」および「差別」に当たると考えているのであろうと推察できる。

だが、それを言い表すにあたってホモフォビアフォビア」および「差別する人たちを差別する」という語彙を用いることは、「男性」を「ホモフォビア」および「差別する人」に規定している点で本質的に何も変わらない。

あげく《「こんなに可愛いのにレズだなんて〜!俺と付き合ったら変わるかもよ〜」とか絡》むという行為の対極にある人物像について「草食系男子」などというレッテル貼りをしている。

ホモフォビア」および「ホモフォブ」の概念について「ただしこれも、新たなカテゴリを人に押しつけるような言葉ではあるけどね」(p.226)とするなら、それこそまさしく《新たなカテゴリを人に押しつけるような言葉》であり《結局新しい区別を作って、これとこれは悪、ってすることだから、過去の繰り返し》に他ならない。

その言葉の成り立ちはともかく、今や「草食系男子」という言葉は、SEXに淡白で女性への関心も薄い、言うなれば“男らしくない”とされる〈異性愛男性〉を揶揄するための語彙として定着している。これは明確な異性愛至上主義に根差すものだ。

  • そこで「草食系男子」に本来ネガティブなニュアンスはないのだと言い張ったところで、それはいわゆる「ネトウヨ」が《「支那」や「朝鮮」は本来「差別語」ではないのだ》と強弁することと何も変わらない。

類義語に「童貞」「包茎」「早漏「さみチンポ」などがある。いずれにしても男権・男根主義社会においては“劣った”男性のありようと見做され、侮蔑や嘲笑の対象となる存在である。

しかるに《「こんなに可愛いのにレズだなんて〜!俺と付き合ったら変わるかもよ〜」とか絡んだり》という行為に与しない〈異性愛男性〉を「草食系男子」と呼ぶのなら、

裏を返せば「草食系男子」と見做されたくない〈異性愛男性〉は〈レズビアン〉に対して《「こんなに可愛いのにレズだなんて〜!俺と付き合ったら変わるかもよ〜」とか絡んだり》しなければならないという理屈になる。そのような恫喝に用いられる言葉が「草食系男子」である。

しかしくれぐれも誤解してはならないが、こうしたレッテル貼りによって《「男性(あるいは草食系男子)」が差別される》のではない。すでに述べたとおり、それは社会の構造上ありえない話である。

まして「草食系男子」という言葉自体が(「侮蔑語」ではあっても)「差別語」として機能するということでもない。どのような言葉であってもレズビアン差別》に与しない〈異性愛男性〉の存在を“異化”するのであれば〈異性愛男性/レズビアン〉の間に(本来ならありもしない)対立軸を置くことになる。
仮に《男嫌い》の〈レズビアン〉が実在するとしても〈異性愛男性〉といっさい関わらずに社会生活を営むことは不可能だ。異性愛男性〉の存在を〈レズビアン〉の「敵」として対置するなら、ひいては〈レズビアン〉を社会から隔離する結果に繋がる。

そこへきてレズビアン〉である牧村自身が、図らずも〈異性愛男性〉を《レズビアン差別》に加担せざるをえない社会的状況に追いやる格好となっているのだ。

「区別」が「差別」に繋がるのではない。あるいは「これとこれは悪」“する”ことが「差別」として機能するのでもない。

「差別」の問題を、そのような「意識」の次元に還元するのであれば、けっきょくその「背景」“ある”社会的力学から目を背け、既存の体制を維持・追認することにしかならない。換言すれば、これもまた被差別者の存在を一般社会の枠組みから周縁化する行為である。

(2016年10月25日 加筆修正)

誕生から10年、「草食男子」生みの親が真逆の使われ方に怒りの告白! 流行語を保守的に誤用するメディア|リテラ
http://lite-ra.com/2016/10/post-2645.html

“誤用”だというなら、そも「草食」という言葉自体がウシやブタに用いる言葉であって「人間」に用いる言葉ではないだろう。

さらに言えば、そこで「草食男子(草食系男子)」と名指しされた〈異性愛男性〉が、そのような“恫喝”“冷笑”を受けることで、どのように感じる(傷つく)か、あるいは実際に〈レズビアン〉に対してどのような態度を取るかも関係ない。

男性が《女性差別レズビアン差別)》に与したくないという意思を表明すれば“恫喝”“冷笑”を受ける、そのような「社会」のありようこそを、ここで私は問題視しているからだ。