「BL/百合」否定派の漫画家・御前モカ氏(Babylion_110)との議論をインタビュー形式でまとめてみた。

(2016年12月18日 加筆修正)

なんか航空業界の漫画を描いているらしいよくわからない漫画家の人が、「BL」や「百合」という用語(名前)を使って「恋愛漫画」を“区別”すること自体が「差別」であるというラディカルな議論を展開されていたので、百合ヲタの立場から乗っかってみることにしました。

御前モカ氏の一連の言説は、「BL/百合」の分野に携わるすべての作家と出版関係者、書店、ユーザーに対する謂われなき誹謗中傷に他なりませんので、公共性のある議論と判断しました。

よって以下に、御前モカ氏とのツイートのやりとりをインタビュー形式にしてまとめてみました。

私自身のツイートは文脈に合わせて接続詞などを適宜補っていますが、御前氏のツイートは、人を小馬鹿にしたようなふざけた顔文字の使用も含めて原文ママです。ただ、一つの発言が複数のツイートにまたがる場合は一つにまとめたり、また一つのツイートに複数の論点が含まれている場合は切り離すなどしました。

また著作権法における引用の条件(批評・研究の目的)を満たすため、私自身の解説や所感を挿入してあります。

「BL/百合」は《差別用語》なのか?
http://togetter.com/li/1059387
私(@herfinalchapter)の側のツイートをまとめたものです。議論の元となったツイートのURLは、私のツイートをクリックし、ツリーから辿ってください。

議論の発端となった御前モカ氏(@Babylion_110)のツイート:
以前も書いたと思うのですが、仲良しのCREWが最近漫画を読み始めて「BLBLと巷が賑やかなので読んでみたら普通の恋愛漫画じゃないか、何が他の「恋愛漫画」と違うのか」と言っていた。多くのCREWは似た感覚の方が多いと思うのです。環境によって価値観や常識が作られるのかもしれませんね
https://twitter.com/Babylion_110/status/807238461350494208

それに対する私(@herfinalchapter)の反応(※引用リプ。よって御前モカ氏の反応を期待したものではありませんでした):
そもそも「普通の恋愛漫画」というのがわからないし、またなぜBLを「普通」でないと思い込んでいたのかもわからないし、あまつさえBLを勝手に「普通」から隔離・排除しておいて「普通」であることに難癖をつけるのはさらにわからない。
https://twitter.com/herfinalchapter/status/807408332784877569

(聞き手・構成 百合魔王オッシー)

御前 全ての方が異性愛恋愛以外を「普通」と受け取っていないことへの皮肉、です。航空業界、業界以外ではマイノリティとされる方がマジョリティと言っても過言ではない業界です。その環境に長年いた友人がBLを読んだ時、BLが異性愛恋愛漫画と別のカテゴリーにされていることに違和感を覚えた、という話です。

私も、友人も、航空業界という狭い業界内での常識が、「世間一般」の常識とは違うと感じております。百合魔王オッシーさんが、BLは「普通の恋愛漫画(世間一般でいう異性間恋愛漫画)」と同等に扱われているとお考えの上の発言でいらっしゃるかもしれませんが、私はそうは感じなかった、という話です。

漫画業界では「普通の恋愛漫画」とされる枠とは別に「BL」がもうけられ、メディアなどで面白おかしく報道されていると感じており、BLとは何なのか、名前だけしか知らなかった友人も同様に感じた。という話です。

私は「航空業界は、特別視されていない業界であり、そこでは全てが「普通・当たり前のこととして認識されており「世間一般」もいずれそうなればよい」ということを発信させていただいておりました。昔はカムアウトをし易い環境でしかありませんでしたが、近年はいちいちする必要もない環境になっている会社が多いです。その中に長年おりましたので、私や友人にとって、区別する必要性は感じなかったのです。

航空業界は小さなコミュニティですが、環境により「人の常識、普通」というものは違う、ということを常日頃呟き続けておりました。ですので卵が先か、鶏が先か、わかりませんが、いずれ枠をつくらなくても、皆が恋愛とは「異性愛が普通で他は特殊」という認識ではなくなる日が来ればいい、という意味を込めた呟きでした。

――航空業界のことは存じませんが、まず「世間一般」において《BLは「普通の恋愛漫画(世間一般でいう異性間恋愛漫画)」と同等に扱われている》という事実はなく、むしろ実態はその逆であると認識しています。

その上で私は、《普通/異常》《ノーマル/アブノーマル》といった異性愛至上主義に基づく差別的な価値判断とは別に、「BL」や「百合」といったカテゴリー(名前)自体は必要であると考えています。

御前 それは、今の「世間一般」では統一すると「差別意識、苦手意識」を持つ方が、好意的ではない反応を示し、対立を増長させる、という恐れがあるからでしょうか。

――いいえ違います。男女の恋愛と男同士あるいは女同士の恋愛の表現の間に「差異」を認め、それぞれの違いを楽しむこと自体は《セクシュアリティの多様性》の肯定・是認でこそあれ「差別」にはなりえないからです。

  • 厳密に言うなら「BL/百合」という言葉が、御前モカ氏の指摘するとおり同性愛の表現を隔離・排除する目的に利用されている一面があることは否めません。しかし、それはあくまでも一面にすぎないことも事実です。それを理由に「BL/百合」という言葉の存在自体を全面的に否定するのは「極論」であり「暴論」です。

――またその意味で、「BL」や「百合」に関しては、そのじつ「普通」の恋愛と変わらないのであればなおさら男女の恋愛(を描いた作品)を求めるべきといった(ジャンルの存在意義自体を否定する)主張が昔からあり、件の「CREW」の方の意見もそのような文脈のものと判断しました。

御前 真逆ですね。(›´÷`‹ )

――「真逆」とは何を指しておられますか?

御前 カテゴリーは必要ないと考えております。

――あなたや一部の「当事者」にとって必要なくても必要とする人はいますし、またBLや百合を楽しんでいる「当事者」の方もおられますよ。なぜ一部の「当事者」の感性だけを特権化するのでしょうか?

御前 私の先輩は私の先輩は「違う」とされることに悲しみを感じられる方もいらっしゃいました。区別されることで傷つかれる方もいらっしゃいます。差別はとても難しい問題で、差別にはなりえないとは言い切れないと思うのです。

「差別ではないつもり」であっても「差別」と受け取り、悲しまれる方がいらっしゃいます。

  • しかし御前モカ氏の言に倣うなら、魚介アレルギーの人に配慮して町中から魚屋や寿司屋の看板を撤去しろということになりますね。
  • とはいえ“なりえない”はたしかに言い過ぎだったかも。正確には先述のとおり、非差別的な「区別」であっても「差別」すなわち〈被差別者〉の隔離・排除に利用されてしまうことは“ありえます”。
  • ですが、それはあくまでも隔離・排除に“利用”する側の問題であって、当然ながらあらゆる「区別」が「差別」を意味するわけではありません。
  • それを、隔離・排除に“利用”される可能性があるからといって“無くすべきだ”というのであれば、包丁が人殺しに“利用”される可能性があるから料理に包丁を使うことを禁止すべきだという理屈と何も変わらないでしょう。
  • あるいは、〈被差別者〉を隔離・排除するという動機や意識自体を温存したまま、ただ「BL/百合」という言葉を“狩る”ことによって、けっきょくはまた別の言葉や手段によって〈被差別者〉を隔離・排除するという「いたちごっこ」が繰り返されるだけと言えます。
  • いずれにしても、ある事象(言葉・表現)について、誰かがそれを「差別」と“感じる”ことと、それが実際に「差別」であるかは別問題。「BL/百合」という言葉・表現について、誰かが「差別」と“感じる”から「差別」だというなら、御前モカ氏の方こそ「BL/百合」を楽しむ人々のことを差別主義者と決めつけて「差別」をしていることになります。
  • だいいち、そう言う御前モカ氏も〈マジョリティ/マイノリティ〉という「区別」にこだわっていますが、そのような御前モカ氏に都合の良い「区別」は「差別」にならないということでしょうか? また御前モカ氏は何を根拠に〈マジョリティ/マイノリティ〉の線引きをしているのでしょうか? LGBTQの「当事者」の中には、自分たちが「マイノリティ」と決めつけられることに対して“悲しみ”を感じる人もいるのですが。

――「BL」や「百合」というジャンル(名前)が存在すること自体が《同性愛者差別》であるので、「当事者」の悲しみに配慮してなくすべきという意味ですか?

御前 多分、お分かり頂けないと思うのです。 「無くす」わけではありません。 統一して、中から自分の好みに合うものを探せば良いのでは、と思っております。 探す利便性を優先させた結果が今だと思います。

  • 恋愛漫画」のカテゴリーを、その性的指向を問わず“統一”せよという御前氏の主張は、まさに「BL/百合」というジャンル(名前)を“無くす”ことの要求に他なりません。
  • マイノリティ/マジョリティの枠を超えた多様な感性や立場性の「差異」を否定して“統一”された価値基準を押しつけることは「同化主義」といい、それ自体が一つの人間の主体性(アイデンティティ)や多様性(ダイバーシティ)を全否定する「差別」に他なりません。
  • とくに日本においてはエスニシティの分野において「排外主義」がクローズアップされる一方、この「同化主義」の問題が認知・理解されづらい傾向にあります。

御前 私は、異性愛者ではない方々の受け止め方を考えています。マジョリティが楽しんでいるのだからマイノリティに合わせる必要はない。このお考え自体賛同しかねます。この場合のマジョリティは、傷つかず、作品が「BL棚」「百合棚」と書店様で分けられている作品を購入することに躊躇がない方を含んでいます。

  • マイノリティがマジョリティの価値基準に合わせる必要はありませんが、しかしマジョリティがマイノリティの価値基準に合わせるべきであるというなら、それは少数による全体支配であってファシズムと変わりません。そも、そのような特権的な立場に属する少数者のことを「マイノリティ」とは呼ばないので(言うまでもないことですが、マジョリティ/マイノリティの関係性は数の多寡によって決まることではありません)、御前モカ氏の議論の設定自体が成立しないことになります。
  • 元よりゲイ/レズビアンの「当事者」であっても「BL/百合」という言葉に対して【傷つかず、作品が「BL棚」「百合棚」と書店様で分けられている作品を購入することに躊躇がない方】が大半であるようですが。御前モカ氏によればそうした「当事者」も、御前氏の問題提起に共鳴しないという一点において〈マジョリティ〉と見なされてしまうのでしょうか。
  • けっきょくのところ御前氏が、自分の「BL/百合」に対する嫌悪感を正当化するのに都合良く〈マジョリティ/マイノリティ〉の線引きをしているにすぎません。

――あくまで一般論ですが、ある言葉について「差別」に感じる「当事者」がいるから“なくすべきである”と短絡的に決めつけてしまうのはひじょうに危険な考え方です。どのように危険であるのかは差別表現や表現規制をめぐる議論をお勉強なされてください。

御前 何か勘違いされているようですね。表現規制ではありません。 私も漫画家ですから、そのようなことは申し上げるつもりもありません。

  • 「BL/百合」といったカテゴリーや語彙を、たんに御前モカ氏自身が使わないというだけならまだしも「無くすべき」とまで言い張るからには、それはまぎれもなく表現規制であり《言葉狩り》以外の何物でもありません。
  • いくら御前氏本人に《表現規制》をする「つもり」がないとしても、当人の意図や思惑を超えて結果的・実質的にそうなってしまうということの問題は、べつに「差別」に限った話ではありませんよね。

――だいたい《異性愛者ではない方々の受け止め方》と一口に言ってもさまざまであるのに、あなたの周囲の人の意見だけで決めつけてしまうのはどうなのでしょうか?

御前 百合魔王オッシーさんはどなたにとって差別ではないと仰っているのでしょうか?

――逆にお伺いしますが「BL」や「百合」といった言葉が《どなたにとって差別になる》と仰っているのでしょうか?

御前 ご自身の恋愛感情を特殊なものとカテゴライズされている方々です。

  • あれ? 《「異性愛が普通で他は特殊」という認識ではなくなる日が来ればいい》んじゃなかったの?
  • それに「カテゴリー」が「差別」であるというなら、「ご自身の恋愛感情」が《特殊なもの》であるという「カテゴリー」も“無くすべき”なのでは? ダブル・スタンダードの極みですね。

――《ご自身の恋愛感情を特殊なものとカテゴライズされている》のであれば、「BL」や「百合」といった(既成の)概念にも当てはまらないはずですが、なぜそのような【方々】の主張や心情を「当事者」のものとして一般化するのですか?

(中略)

御前 お伺い致しますが、百合魔王オッシーさんは、差別的表現に非常に敏感でいらっしゃり、あなたが差別的表現だとお考えになった言葉に対し、発信者にご意見されている。何故今回の件のような、あなたは差別だと思わない言葉を他の方が差別だと感じている場合、「差別とは思わない。あなたが間違えている」と主張されるのでしょうか。あなたが思わなくても、私は思っている。異性愛者ではない、私の身近な方も思っている。それだけの話だと思うのですが。

――「差別的表現」を問題視するからこそ、「当事者」が悲しむから「差別」、などという恣意的な基準で「差別的表現」と決めつけてしまうことには断固として反対します。

一部の「当事者」の間に、「BL」や「百合」というジャンル自体を嫌悪する風潮があることは存じております。では、一部の「当事者」が「差別」と見なしたものについて、私たち「非当事者」はいっさい異議申し立てをしてはならないのですか?

御前 自由にされたら良いじゃないですか(›´÷`‹ ;) あなたと私は、違う主義主張を持っているだけです。どちらが正しいというわけではないと思いますが。

  • 「BL/百合」といった表記(名前)を用いることが「差別」であるにも関わらず《自由にされたらよい》とは? 「差別」を容認なさるということでしょうか?
  • 「マイノリティ」や「当事者」を都合良く持ち出しておいて、じつに煮え切らない、ふわふわとした、不誠実な“糾弾ごっこ”でしかありませんね。

御前 BLや百合という言葉がなくなることはないと思いますが、書店様で棚に掲げられなくなった場合、探すことに苦慮する以外のデメリットは何でしょうか。

―― 「BL」や「百合」という言葉がなくなってしまったなら、すべての「恋愛漫画」が男女の恋愛を表現することを求められるようになりますね。「ゲイ」「レズビアン」という言葉に置き換えてみればわかることですよ。現実社会そのものがそのようにできているのですから。

  • 《現実社会そのものがそのようにできている》というのは、現実社会においては同性愛者や両性愛者、全性愛者も無性愛者も含むすべての人が「異性愛者(非同性愛者)」として生きることを要求・期待され、また「異性愛者(非同性愛者)」として扱われているのが実情であり、「恋愛漫画」においてもその社会的・政治的力学が作用・敷衍されているという意味です。

――人間の恋愛を「異性愛」と「同性愛」に二極化してしまうことの問題と、「異性愛」「同性愛」という概念自体の是非はまったく別です。「異性愛」「同性愛」という概念自体を否定するなら、すべての人が「バイセクシュアル(両性愛)」として扱われることになります。

  • 「BL/百合」は「同性愛」だけでなく「非異性愛」を包括する概念でもあります。しかし「恋愛漫画」という語彙では《同性を愛すること》は表現できても《異性を愛さないこと》は表現できません。よって「BL/百合」という言葉をなくして「恋愛漫画」に統一してしまうのであれば、結果的に男同士・女同士の「恋愛」の表現に対しても《異性を愛すること》が求められることになります。
  • ゆえに「BL/百合」という言葉をなくして「恋愛漫画」に統一してしまうのであれば、「BL/百合」の愛好者に対しても、そのような「漫画の形を借りた異性愛至上主義」への迎合・適応を強制することに繋がります。

御前  (›´÷`‹ ;)極論ですね。

――なにが「極論」なのですか? 非差別的な「区別」までも「差別」と同一視した上で、一部の「当事者」の極端な主張・心情を一般化するあなた(御前モカ氏)の「論理」のことですか?

  • 上掲の私の指摘が「極論」に思えるのだとすれば、それは御前モカ氏自身が「差別」を定義するにあたって「意図」と「効果」と混同しているためでしょう。つまり私は御前氏の提言の「効果」について論じているのに、御前氏は自身の「意図」を説明している。だから話が噛み合わない。
  • しかし他ならぬ御前氏自身が「BL/百合」の表記について、「差別」の「意図(つもり)」がなくともその「効果」が生じているとの前提で議論を展開しているのですから、これは御前氏側の論理の摩り替えでありダブル・スタンダードと言う他ありません。

――またすでに述べましたとおり、異性愛を「ノーマル」と呼ぶことは異性愛至上主義に基づく「差別的表現」であるから批判しています。裏を返せば「男女物」「異性愛物」と呼ぶことには問題ありませんし、実際そのような用語が広まりつつあります。

  • ちなみに私自身は「ノーマル(NL)表記」は“無くすべき”だと考えています。→参考

御前 作家側以外からですね。

――いいえ作家も使いますし、そもBLや百合は二次創作が盛んなので作家と読者の垣根もあいまいです。というか自分の明るくない分野についてこれ以上知ったかぶりしないほうがいいですよ。

御前 ?なにを使うのですか?

――「男女物」「男女CP」といった表記のことですよ。「異性愛物」はあまり使われないかもしれませんね。 

御前 言葉の使用の有無に関しての質問ではなく、百合魔王オッシーさんにとってのデメリットをお伺いしたいのです。

――〈男/女〉〈異性愛/同性愛〉の「差異(性差)」が否定されることにより、マイノリティである「同性愛(BL/百合)」の存在が不可視化され、結局はマジョリティである「異性愛(男女の恋愛)」が基準化・規範化されてしまうことの「デメリット」を論じています。

【私】にとっての「デメリット」は【私】の問題なので、あなた(御前モカ氏)には関係ありません。私のほうからは以上です。

御前 わかりやすくありがとうございます。ですが、やはり私は賛同しかねます。百合魔王オッシーさんと願いや根本は同じだと思いますよ。違いはそれを実現させる為の方法論です。百合魔王オッシーさんがこうした方が良いと仰る方法論と私が思うものが違うだけ。以上です。

  • けっきょくのところ御前モカ氏は、氏の提言に対して私の指摘した「デメリット」について、それを「極論」であると一方的に切り捨てるばかりで、その問題をどのように回避・解決できるのかという対策を提示することは、いっさいできませんでした。
  • すなわち御前モカ氏は、マンガの恋愛表現について《男女の恋愛と男同士あるいは女同士の恋愛の表現の間に「差異」を認め、それぞれの違いを楽しむこと自体》「差別(誰に対する? けっきょくよくわからず)」であるとして否定なさるとのことです。
  • そも御前氏は「恋愛漫画」のカテゴリーについて、その性的指向を問わず“統一”するべきとの立場なのですから《百合魔王オッシーさんがこうした方が良いと仰る方法論と私が思うものが違うだけ。》などと「考え方の違い」に落とし込むのは論理矛盾。
  • というか、そんなあやふやなふざけた態度によって「BL/百合」を楽しむ私たちが「無自覚の差別者」呼ばわりされてはたまったものではありませんし、だいいち引き合いに出されている「当事者」の方々に失礼きわまりないでしょう。
  • が、それでも私は御前氏の“告発”を「百合」の愛好者として真摯に受け止め、できるかぎり誠実にお答えしたつもりです。
  • 一方の御前氏は、「BL/百合」の存在を「差別」と決めつけ、「当事者様」の威光を借りて糾弾しておきながら、そのような自身の“告発”に対する異論と真正面から向き合おうともせず、ただ氏の独善的かつ不誠実な人柄と、自身の言葉に対する責任感のなさを露呈したにすぎません。

一言でいうと、典型的な「マイノリティ憑依」ですね。

「マイノリティ」と一口に言っても様々な主張や心情があるにも関わらず、自説に都合の良い「当事者」の意見だけを取り上げて、勝手に「代弁者」を気取る。

そのような態度は「マイノリティ」に寄り添っているようでいながら、そのじつ「当事者」のありようを「非当事者」の立場から恣意的に価値判断し、分断をもたらしている点で、これも一つの「差別」の構造に他なりません。

御前モカ氏のおっしゃるとおり、私は常日頃から「差別」の問題に関心を抱き、当ブログやツイッター上で問題提起をしてきました。

それでも私は、御前モカ氏と違って《「当事者」が「差別」だと感じている(言っている)から「差別」だ》といった恣意的な基準で「差別認定」を下したことは、一度もありません。

ある表現が「差別」に当たるか否かは、表現自体の意味性や文脈を検証した上で、私自身の主体性に基づいて判断します。もちろん私の主体的判断に同意しないという人もいるでしょう。しかし少なくとも一部の「当事者」が「差別」と感じた(言った)から「差別」であるといった、主体性の欠落した無責任な決めつけには何の説得力も感じません。

《「当事者」が「差別」だと感じている(言っている)から「差別」だ》といった物言いは、そのじつ「非当事者」である自らの主体性を放棄し、体よく「当事者」に責任転嫁する、きわめて不誠実な態度であると考えます。