「レズビアン当事者」の同人作家・玉置こさめによる紋切型の「保毛尾田保毛男」擁護と「百合」バッシングに反論する

(2017年10月17日 加筆修正)

レズビアンのぼやき
https://togetter.com/li/1161201

保毛尾田保毛男」騒動に便乗した「レズビアン当事者」の@krkawwaによる連投ツイートのセルフまとめ。「玉置こさめ」なる名義で同人の百合小説を書いているほか《レズビアンなコラムをLGBT情報ポータルサイトFREE!! さまで連載》しているとかで、まとめの内容と無関係の個人的な宣伝を臆面もなく載せている。

しかし全体にわたって要領を得ないだらだらとした文章で頭の悪さが窺える。このような馬鹿でさえ「作家」を僭称して活躍の場が与えられているというのは、じつのところ「LGBT業界」の層の薄さを証明しているにすぎない。

論点があっちへふらふらこっちへふらふらと一貫性がなく、論理的思考力の欠如が如実に表れているものの、ようするにこのまとめの主旨はレズビアン当事者」の立場から「保毛尾田保毛男」を擁護するという試みである。

もっとも当人は“擁護も否定もしない”と言い訳しているものの、あのようなあからさまなホモフォビア(同性愛者嫌悪)に根差すヘイトスピーチを“否定しない”時点で“擁護”と変わらないし、また実際、当人の意図と関係なくそうなっているのが問題だ。

レズビアン当事者」の立場からということで、玉置こさめ氏としては傾聴に値する斬新な見解を提示しているつもりのようであるけれど、文章にまとまりがなく異様な悪文であることを除けば、じつのところ非当事者による紋切型の「保毛尾田保毛男」擁護をそのままなぞっているだけだ。

誇張表現が侮蔑というけど 実際にあのタイプの人間が実在したとしたら その人をテレビに出したら「ホモを侮辱している」という存在になるのかね
https://twitter.com/krkawwa/status/919386706473754624

ステレオタイプのホモをテレビで表現する芸を差別だと言って抗議することそのものが差別ではないのか? ということ
https://twitter.com/krkawwa/status/919394427872755715

保毛尾田保毛男」の件については「LGBT当事者」を中心とした抗議の声がマスメディア上でも取り上げられ、告発・批判の論点も明確にされているが、玉置こさめ氏は同じく「当事者」を名乗りながら未だにこの認識とは呆れ返るほかない。

まず《ステレオタイプのホモをテレビで表現する芸》が「差別」として糾弾されているのではない。それを「非当事者(異性愛者=非同性愛者)」の立場から嘲笑・侮蔑の対象として表現する行為こそが《差別表現》なのだ。議論の前提すら共有できていないのでは話にならない。

保毛尾田保毛男」を見て嫌悪感を抱くのは当然である。「女性的なゲイ男性」のステレオタイプなイメージを露悪的に誇張しているからだ。

それでも仮に「ゲイ当事者」が自ら主体的に、社会的認知を求めて「保毛尾田保毛男」を演じたなら、また受け取り手の印象も異なったかもしれない。しかし言うまでもないが保毛尾田保毛男」は《実際に実在するあのタイプの人間》ではなく人気芸人の石橋貴明が演じた架空のキャラクターであり、なおかつ大の女好きである石橋が「ホモ(非異性愛者)」を偽るというギャップこそが笑いどころとなっている。そのあたりは、初めから「ゲイ」という設定でデビューしたレイザーラモンHGとは意味合いが異なるだろう(むろんあれに対する解釈や評価は別の問題)。

つまり「保毛尾田保毛男」とは、そのような前提を視聴者が共有しているからこそ成り立つ「内輪ノリ」の芸なのだ。それを現実の「女性的なゲイ男性」に対するホモフォビアと同一視するのは、それこそ「現実」と「空想」の区別が付かない者の発想である。

何が差別かはみんな知ってるし それがいけないこともみんな知ってるけど 何が「差別でないか」は規格みたいに統一されてないから共有されずみんな困るんだよ で 偏見禁止差別禁止ばかりでは反感も生まれるだろう それは
https://twitter.com/krkawwa/status/918140939230523392

《何が差別かはみんな知ってる》というが、まさに「何が差別か」という前提が共有されないまま「差別」が“いけない”という建前が先行しているからこそ《何が「差別でないか」は規格みたいに統一されてない》のである。

ちなみにこのことをTwitter上で(引用リプという形で)指摘したところ、反論すらないまま即座にブロックされた。被承認欲求丸出しのセルフまとめを作ってまで自己宣伝に勤しみながら、不都合な批判を排除するとは了見の狭い人物である。

ならばせめて玉置こさめ氏は、「差別」を議論する上での現状認識すらなっていないくせに「当事者」であるからとわかったような口を利くのはやめたほうがいい。

根底にはホモセクシュアルを侮蔑する人々がいるから だから擁護する必要性があるとされてるけれど ホモを差別してるのはとんねるずでなくて世間の人々、つまり視聴者なんだよ
https://twitter.com/krkawwa/status/919387967793242112

「ホモを差別してる世間の人々」と「とんねるず」を、なぜあえて切り分ける必要があるのか不明。むしろ「ホモを差別してる世間の人々」を代表しているのが「とんねるず」であり「保毛尾田保毛男」の表象であろう。

保毛尾田がセクシャルマイノリティの誇張をしている、侮蔑だというなら 木梨ノリ子は不美人な女性を誇張して女性を侮蔑しているのに どうして誰一人として抗議しないの?
https://twitter.com/krkawwa/status/919387169042579456

なんで保毛尾田がだめで木梨ノリ子はアリなのか どうして誰一人抗議をしなかったのか もうその時点で私は傷付いている気がする 自分の居場所はそういう社会だってこと
https://twitter.com/krkawwa/status/919391628686647296

ホモフォビア(同性愛者嫌悪)とミソジニー女性嫌悪)が分かちがたく結びついていることは自明であり、その意味で「木梨ノリ子」のミソジニーを指摘するのは正しい。が、それはむしろ「保毛尾田保毛男」への告発・批判を補強するものであり、告発・批判の相対化ないし無効化に用いられるべきではないはずだ。

このようにして「保毛尾田保毛男」を告発・批判する人々にいちいち見当違いな言いがかりをつけてみせる一方で、玉置こさめ氏は自身の作風と異なる「百合まんが」に対しても「レズビアン当事者」の立場から見当違いな言いがかりをつけている。

そしてこれもまた「レズビアン当事者」にありがちな紋切型の「百合」バッシングを下手糞な文章でなぞっているだけである。文章が下手糞であることを除けば玉置こさめ氏自身のオリジナリティは皆無だ。

(前略)マイノリティ教育が紙切れどまりである以上は なんか偏見よくないとかいうが 現実に報われない同性愛者を置き去りに美しい百合まんがはよくて 下品なホモキャラはだめってのはおかしくねえか どちらも現状に沿ってるわけではないだろ
https://twitter.com/krkawwa/status/918133037384179713

玉置こさめ氏によれば、「美しい百合まんが」を描くことは《現実に報われない同性愛者を置き去りに》しているのだという。ところが、その論拠は明示されない。

でも最近の百合は 百合をおとぎ話どまりにしない作品が増えてきてるのが個人的には嬉しい もちオーレ先生の「出会い系」とか 多分作者様はそれを意識してないだろうけど「出会い系」なんて生臭い出会い方を描く百合はなかったと思う おしゃれな雰囲気の漫画でならあったかもしれないけど
https://twitter.com/krkawwa/status/918134982534619136

「出会い系」で女と出会うのは レズの日常に沿っているんだよ すごく だって偶然レズがレズと出会える確率は低いんだよ 色々な理由で だからネットがなかった時はきつかった
https://twitter.com/krkawwa/status/918135756723404801

初歩的な誤解であるが「百合まんが」は「レズビアン」を描くものではない。

元より、何をもって人を「レズビアン」とするのか。人間のセクシュアリティが自己申告である以上、自ら「わたしはレズビアンだ」と自認・自称する人間でしか「レズビアン」たりえないのであり、その意味で「百合まんが」の多くに「レズビアン(を自認・自称する人間)」は登場しない(例外と言えば後藤羽矢子『プアプアLIPS』くらいなものか)。

よって「美しい百合まんが」を描くことが《現実に報われない同性愛者を置き去りに》しているという指摘も当たらない。そのような理屈を認めるのであれば、そも女性同士の恋愛関係のみで完結した作品を作ること自体が、異性愛者や男性の同性愛者、両性愛者、さらには性別を前提とせずに恋愛をする人々を“置き去り”にしているという理屈も成り立ってしまうからだ。

さらに言えば、むしろそれこそ「レズビアン」が女性を愛して男性を愛さないことが「差別」であるといった紋切型の「レズビアン」バッシングの再生産に他ならない。

裏を返せば「保毛尾田保毛男」のようなあからさまなヘイトスピーチを擁護するにあたっては、そのような「屁理屈」に頼るほかないのであり、また玉置こさめ氏がそのような「屁理屈」を持ち出している時点で、やはり「保毛尾田保毛男」を擁護していることになる。

あるいは、女性同士の恋愛をたんに“美しく”描くことと、そこに観念的な意味性ないし政治性を付与して“美化”することは、その前提や動機からして本質的に異なった表現である。その点においても、やはり「同性愛」というセクシュアリティ自体を侮蔑・嘲笑の対象として観念化した「保毛尾田保毛男」の問題とパラフレーズすることはできない。

元より、これは主観による恣意的な印象論ではなく、作品自体の文脈およびその機能性から読み取ることのできる「事実」であり、それが玉置こさめ氏にできないというのであれば評論家の真似事は慎むべきであろう。

付言するなら、自分の推しである作家や作品(玉置こさめ氏の場合はもちオーレ)を持ち上げるにあたって、わざわざ他の作風の作家や作品を貶めるレトリックは、いわゆる贔屓の引き倒しであって、ようは他の作風の作家や作品を貶めるためにもちオーレをダシにしているだけである。もっとも嘆かわしいことに、玉置こさめ氏のような素人は元よりプロの評論家であってもそのような愚論を振りかざして悦に入る者は少なくないが、たとえプロであっても三流の評論家にすぎない。

あの生臭さが完全に新しいと死ぬまで5億回讃えていきたい でも美しいだけの百合も好き! あと生臭いというなら ほかにもいろんな作家さんが既に現実に即した百合を描いてるしなー!!! いい時代だな!
https://twitter.com/krkawwa/status/918136709472063489

出会い系サイトを利用する「レズビアン当事者」を“生臭い”などと評することが妥当であるかはさておき、そも「美しいだけの百合」などというものは存在するのか。一般に「百合=ファンタジー」の代名詞として引き合いに出される『マリみて』でさえ、実際には女性同士の意地の張り合いや嫉妬、独占欲などを臨場感あふれる筆致で切実に描いている。

しばしば「百合まんが」は、現実の「レズビアン」を表面的にしか捉えていないなどと「当事者」から槍玉に上げられがちだが、それこそ「百合まんが」を表面的にしか捉えていない証拠である。さらに「百合まんが」が「レズビアン」を描くものではないことを鑑みれば、二重に的外れな「ためにする批判」でしかない。

それにしても、まとめのタイトルには『レズビアンのぼやき』とあるが、いち「当事者」にすぎない玉置こさめ氏に「レズビアン」を代表する資格はない。被承認欲求丸出しのセルフまとめを作って自己宣伝に勤しむ玉置こさめ氏にあっては、むしろ『玉置こさめのぼやき』と改めるべきではないか。