性別二元制と異性愛至上主義に囚われた『性別のない世界の話』の薄っぺらさ

Twitter上で右腹(@sgin001)という同人作家が発表した『性別のない世界の話』という漫画が、4万件以上のリツイート(いいねは13万件以上)を経て私のTLに流れてきた。

『性別のない世界の話』というくらいだから、てっきりクィア理論やジェンダーフリーのような社会構築主義に基づく政治的イデオロギーを具現化した話かと思ったら。

実際に読むとそれ以前の問題で、すっかり虚脱してしまった。なんだこりゃ。

 一読して、我が目を疑った。衝撃を受けた。私自身の《性別》にまつわる固定観念を根底から揺さぶられたから、ではない。あまりの内容の陳腐さに、である。

「性別のない世界」などといかにも大上段に構えたスケールのデカいタイトルとは裏腹に、そのじつ学校の教室と思われる閉鎖的な空間の中で、登場人物は学生カップルと思しき【ハル】と【ナオ】の二人のみ(モブキャラすら描かれない)という、きわめて排他的な人間関係によって構築された世界観。創作の上で閉鎖的・排他的な世界観を設定すること自体はべつに悪くないけれど、この二人の外側の「世界」がどうなっているのか、読者にはさっぱりわからない。作者の貧困な想像力を、ありのままに反映した格好だ。

作者の想像力の貧しさはキャラクター造形においても同様である。【ナオ】は、そのままマンガ表現に典型的な男性キャラクターの造形で男性的な話し方をするが、一方の【ハル】は、マンガ表現に典型的な女性キャラクターの造形でありながら男性的な話し方をし、スカートではなくズボンを履いて一人称は「僕」。ただし二人とも〈男/女〉の性自認をもたない、いわゆる「クエスチョニング」「Xジェンダー」などと呼ばれる人々のようであるが、そのような人々は「性別のない世界」を創世するまでもなく現実社会にもすでに存在している。

また近頃は現実社会でも「ジェンダーレス」なるファッションが注目を浴びている。ところが、そこへきて作者は、どういうわけだかよりにもよって既存の「制服(学生服)」という保守的なデザインをあえて選択し、現実社会の〈男/女〉のジェンダー(性様式)を踏襲している。ただ【ハル】に関してはそれを形式的に反転させただけである。

ファンタジー作家として、一から新たなジェンダーを創出してみせようという気概すら見いだせない。否、ジェンダーの概念がその定義上、既存の「女性/男性」の延長線上にしか存在しえないからには、作者が本気でキャラクターの《性別》をなくしたいと考えるなら「白ハゲ(Twitterでよく見かける、髪もなく服も着ていない極度に簡略化された無個性なキャラクターの漫画)」にするしかないのではないか。

しかし女性造形のキャラクターに男言葉を喋らせてズボンを履かせただけで「性別のない世界」とは笑止千万、羊頭狗肉《性別のない世界》などというラディカルな命題に反して、作者自身はむしろきわめて保守的で頑迷な女性観の持ち主のようだ。

そして何よりも最悪なのは、「性別のある世界」である現実社会における、性別二元制と異性愛至上主義に根差した差別的な固定観念を、作者がこれら自作のキャラクターを通して無批判に追認させていることだ。

 

ナオ:
同じ性別の人は恋できないとか

ハル:
なんで?

ナオ:
わ、わかんない

ハル:
その人のこと好きになっても 同じ性別だったら一緒にいちゃダメなの?

ナオ:
そうらしいよ そもそも 同じ性別の人のことを 好きにはならないんだって

 

上掲の【ナオ】のセリフが《同じ性別の人は恋“してはならない”とか》《同じ性別の人のことを好きにならない“とされている”のが「常識」なんだって》というものであったなら、性別二元制と異性愛至上主義を基幹とする現実社会の「常識」に対しての風刺となりえたかもしれない。が、実際にそうなっていない。よって、つまりこれは現実社会を生きる作者自身の「恋愛」についての持論をそのまま開陳したものと受け止める他ない。

しかし言うまでもないが「性別のある世界」である現実社会においても《同じ性別の人のことを好きになること》は成立する。一方で「恋愛」の定義を異性間のみに特権化し、同性間の「恋愛」の成立を否定・否認する思想は、今や「LGBT」という言葉がすっかり人口に膾炙した現実社会にも未だ根強く蔓延っている。後者について無批判であることで、他ならぬ作者自身が、そのような性別二元制と異性愛至上主義の差別的イデオロギーに囚われている事実を露呈してしまった。

言い換えるならこの漫画は、現実社会の〈同性愛者〉に対する類型的な「ヘイトスピーチ」を、ただ漫画の形で焼き直しただけの代物であり、すなわち「マンガの形を借りたヘイトスピーチに他ならない。

しかも「性別のない世界」と謳いながら、その世界観を体現する二人が「性別のある世界」を仮想する際に、あろうことか【ナオ】は《もしハルが女の子だったら おれは男の子になるよ 男の子だったら 女の子になる》として、現実社会の性別二元制と異性愛至上主義に基づく性役割にそのまま自ら適応しようとするのである。

この薄っぺらな世界観のくだらない漫画が露呈しているのは、こうしたいわゆる《性差否定》のイデオロギーが、じつのところ性別二元制や異性愛至上主義の解体に何ら繋がらないどころか、むしろ望みの「性別」を愛することがあらかじめ肯定・是認されている〈異性愛者〉の特権性を強化するものでしかないという残酷なくらいありのままの現実だ。

* * *

この漫画に寄せられたリプライを読むと「泣ける」「素晴らしい」「自分もその世界に行きたい」などという反応が目立つ。だが男性異性愛者の私には、このような人間としての可能性も多様性も何もかも剥奪された「世界」は、どう見てもただのディストピアとしか思えない。

あまりにも当たり前すぎることだが、人間の可能性や多様性は《性別》だけに発揮されるのではない。言い換えれば《性別》とは恋愛やSEX、ファッションだけの問題ではなく、将来の進路や職業、家庭内での役割、スポーツ、音楽や映画などの趣味など、人生と社会生活のあらゆる場面と密接に関わっている事柄である。

そこへきて「性別のない世界」を目指すということは、同時に既存の現代社会のありとあらゆる可能性と多様性を放棄するに等しい。現実社会の性別二元制に適応できない人々が、このような不自由きわまりない「世界」に隔離されなければならないとすれば、体の良いアパルトヘイトと変わらないのではないか?

私たちが生きるこの「世界」の中に《性別》が存在することで、〈同性愛者〉ないし性別二元制に適応できない人々が差別されるというのであれば、理想とすべきは《性別》をなくすことではなく、人がどのような「性」を営もうと差別されることのない「世界」ではないだろうか。